純丘曜彰教授博士:生活の哲学 Prof.Dr. Sumioka's Philosophy

大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰博士が日常の生活の中にある身近な哲学について平易に語ります。

2017年03月

/大学の単位は、どこでも、文科省の2/3ルールが徹底されている。半期10回以上の出席が無い、自分で受講放棄した者は、「不合格」以前の「評点対象外」。後から泣きつこうと、成績の付けようがない。にもかかわらず、むちゃな単位要求をすると、その記録がすべて残り、本人はもちろん親まで破滅しかねない。これから学生になる諸君は、初回から試験まで、出席だけはきちんと整えておこう。/


 この業界にいると、例年、この時期、いろいろなウワサがあちこちの大学から聞こえてくる。そのひとつが、土下座卒業。教授に泣きついて無理やり単位をもらって卒業した、とかいう話。


 たいてい語学や教養の単位だ。ふつうは1、2年のうちに取っているべき話なのに、4年にもなってまだ取り残していて、そのくせ、自分ではかってに「卒業見込」と決め込んで就職活動。めでたく内定もいただき、とっととアパートも引き払って、新居への引っ越しを終え、海外へ友達(彼氏彼女?)と卒業旅行。ところが、帰国すると、大学から留年通知。それであわてて親まで出てきて、むちゃくちゃな強訴をやらかす。自分の側の既成事実を言い立てて、いまさら、その責任を取れるのか、とかいう、どこかの学校創設申請者と同じ論法。


 土下座でもなんでもするから、お許しを、などと、言われても、そもそも語学や教養なんて、いまどきたいてい選択だから、ほかの科目で単位を取れば足りるので、最初に登録しても途中で放り出す学生は珍しくもない。だから、受講放棄を謝られる筋合いではないし、謝ったからといって、事実として受講していない以上、では単位をあげよう、などとはならない。


 昔からどこの大学でも2/3ルールというのが学則で決められていて、これが2006年の文科省の通達で、あらてめて厳守徹底された。半期15回の講義のうち、10回以上の出席が無い者は、「不合格」以前の「評点対象外」。つまり、講義登録自体に「Z」が付いて、点数は空欄。ここに「Z」がついている以上、後から点数を水増するとかしないとかの話ではない。大学によっては、4年生の「不合格」には「再試験」の救済制度があるところもあるが、それは、あくまで点数不足の「不合格」だけが対象。出席不足の「評点対象外」は、本人の受講放棄であって、「不合格」ですらないので、再試験も対象外。


 しかし、学生は、就職活動をしていたのだから出席扱いに、とか言い出す。企業が出す書類は、せいぜい「事由証明」であって、それがむしろ講義の欠席を証明してしまっている以上、それで講義を出席扱いになどできるわけがない。カゼやケガの「診断書」を持って来ても、これも学校保健安全法に規定されている「学校感染症」(結核など)でないと無意味。その学校感染症であっても、病欠が出席になるわけではなく、総講義数の方を減らして2/3ルールを適用するので、かえって出席数の縛りが厳しくなる。出席なんて、物理的な事実問題であって、同じ教室にいた他の学生たちも知っている。その事実を教員が温情で恣意的に改竄したりすれば、封筒だ、マクラだ、などと、教員の方があらぬ疑いを掛けられるだけ。とりあうバカは、いない。


 それでも、親が大学に乗り込んできて強訴、なんていう話も聞く。遠路はるばる出てきたのだから、とか、わけのわからない理由で、どうか、よしなに、とか。これが通らないと、逆ギレ。大学を信頼してきたのに、とか、大学は学生の人生を破滅させるのか、とか。さらには、訴えてやる、マスコミに言いふらしてやる、そして、最後は、本人から家族まで、死ぬ、死ぬ、死んだら大学のせいだ、と暴れ騒ぐ。まるでヤクザ。


 ところが、大学によっては、専門課程の主任だの、学部長だの、もっと偉い人まで出てきて、まあ、そこはなんとか、ねぇ、きみ、とか言い出すのだとか。とくに体育会の学生は、ヤクザそのもののOBまで顔を出し、夜道には気をつけろよ、というような話になることも。こうなると、教員の方が精神的に追い詰められ、「私が間違えました、ごめんなさい」というような顛末書、さらには学生や親に対する詫び状まで書かされて、成績修正。もちろん、発覚したときには、教員一人が尻尾切りだろうが。


 とはいえ、昔とは時代が違う。組織では、書類はすべてコピーを取るし、メールなどの電子データも残こす。大学でも、教員でも、一般企業同様、いまどき録音録画もせずに、きわどい話に関わったりしない。密室でごちゃごちゃやっても、後でかならず表沙汰になる。出席をごまかし、単位をもらって、不正に「卒業」したことだけでなく、そのごまかしをするためにやらかした強引なことも、ぜんぶ出てくる。昇進だ、結婚だ、というときに、そんな話がどこかからぶりかえせば、文字通り、本人は、人生、おしまい。むちゃをした親も職を失う。兄弟姉妹まで経歴に疑いをかけられる。


 これから、学生になる諸君。愚かなユトリ先輩たちの轍を踏まぬよう、なにはどうあれ、講義の出席だけは、初回から試験まで、まじめにきちんと整えておこう。ムリをすれば、そのしっぺ返しの方が大きいことくらい、学生としてよく理解し、誠実正直が一番と心得ておこう。土下座卒業など、頭のぬるい学生たちの間だけの、ただの伝説。そんなものは無い。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『アマテラスの黄金』などがある。)

PR 純丘曜彰の新刊!『アマテラスの黄金:隣のおねえさんはローカルすっぱい!』

/産業革命は、実際に機械を作るために必要な規格品互換ネジが大量生産されてこそ始まった。それで、ネジは「産業の塩」と呼ばれるが、長年の惰性や、材質の勉強不足、製造や修理の途中の工程に対する理解不足で、いま、かえってトラブルの元凶となってしまっている。/


産業革命を実現したのは、水力でも、蒸気でもない。ネジだ。機械は、頭の中でなら、なんとでもできる。だが、実際にそれを作るには、部品と部品をつなぐネジが不可欠。1800年、ロンドンの機械職人モーズリーがネジ切り旋盤を開発。これによって、互換性のある規格品としてのボルトとナットが大量生産され、こうして、実際にさまざまな機械が組み立てられるようになって、現実の産業革命を引き起こすことができた。


 車一台二万本。トースターやパソコンから橋梁、原発まで、ネジだらけ。ネジがなければ、始まらない。それで、ネジは「産業の塩」と呼ばれる。しかし、あまりに当たり前になっていて、ムダ遣い、デタラメ遣いも多い。


 まず、ほんとうにそのネジは必要か? 1本を締めるのに、ネジを取って、ネジ穴か、ドライバーの先端につけ、これを適切なところまで、適切なトルク(強さ)で、締め上げなけばならない。手間は、コストだ。フレームの片側を引っかけにすれば、ネジは反対側だけで済む。これで、手間は減るし、強度も上がる。


 つぎに、ほんとうにそのネジは適切か? たとえば、2つハンドルの洗面蛇口。樹脂のハンドルは、スピンドルの溝にはまっている。そして、そのハンドルをスピンドルに取り付けしているネジ。ハンドルを上に引き抜く力がかかることは、まずありえない。にもかかわらず、このネジの長さが、ムダに24ミリもあるのだ。図面を書いたやつがバカで、現場のことをなにも考えていなかったとしか思えない。ムダに長ければ、締めるのも、緩めるのも、ムダに手間がかかる。おまけに、折れたり、固着したり、トラブルの元凶。


 そして、ほんとうにそのネジで大丈夫か? 最近、うちの木のイスのネジが折れた。折れた頭を抜くのに、ものすごい手間がかかった。材質は、なんとステンレス。これも、企画したやつがバカ。ステンレスは、たしかに直接には鉄より固いが、粘りがない、膨張する、ウケと材質が違うと、ステンレスでもネジは意外に半端に錆びて自滅的に折れる、等の問題もある。どうしてもぐらつきをくらわざるをえないイスなら、素朴な鉄ネジの方が始末がよかったはず。だから、強度と耐久性とのかねあいで、木工や住宅などでは、あえて表面が錆びる鉄釘を使うことも多い。


 2012年の笹子トンネル天井板落下事故も、1本だけのボルトを真上向きに接着剤で止めてあるだけ、などという杜撰な設計ミスが最大の原因。現場では、こんなんでいいのか、と思っても、図面通りにやるのが仕事。本社に余計なことを言ういとまも無い。だが、設計の方にしても、長年の惰性で、昔からの規格がなんとなく引き継がれていたり、材質の勉強不足のままにデタラメな図面を起こしたり、実際の製造や修理の途中の工程を考えずに、出来上がりだけが立派な絵図を引いたり。


 組織としても、設計と現場を繋ぐ「ネジ」が劣化している。製造や修理の現場からのフィードバックをきちんとすれば、根本から設計思想を改善できるものは、我々の身近にかなり多い。サービスやコミュニケーションでも同様。ネジを、書類や連絡、会議に置き換えてみれば、よくわかる。いまだに紙で会議書類をプリントアウトして綴じて配って回収したり、緊急の伝言メモを帰社して机につくまで読めなかったり、わけのわからない掛け声だけでデタラメの決算書類を大量に捏ち上げていたり。


 その書類、その連絡、その会議、ほんとうに必要? ほんとうに適切? ほんとうに大丈夫? 産業革命から二百年。ネジも、組織も、劣化してきている。とくに日本は、惰性がひどい。天井板が落ちてくる前に、ネジを見直し、締め直そう。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『死体は血を流さない:聖堂騎士団 vs 救院騎士団 サンタクロースの錬金術とスペードの女王に関する科学研究費B海外学術調査報告書』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

PR 純丘曜彰の新刊!『アマテラスの黄金:隣のおねえさんはローカルすっぱい!』

このページのトップヘ