純丘曜彰教授博士:生活の哲学 Prof.Dr. Sumioka's Philosophy

大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰博士が日常の生活の中にある身近な哲学について平易に語ります。

2015年06月

/努力すれば努力するだけ、いいように人に搾取される。いくらがんばったって、その道は出口には繋がっていない。とりあえず生き残っていくには、臥薪嘗胆、のらりくらりと我慢が肝心。/

 あれを買うべきだ、ここへ行くべきだ、行政のムダを削減すべきだ、世界の平和に貢献すべきだ、ポジティヴに生きるべきだ、等々、なんとなくもっともらしい。しかし、古代ローマ時代にも、我田引水、党利党略の宣伝と演説が蔓延。


 そんな中で安心哲学が出てくる。最初が懐疑主義。人の言っていることなんか信用しない。そもそも人のことなんか信用しない。得だ損だ、善だ悪だ、と喧し いが、そんなに得、そんなに善なら、まずはあんたが黙って一人でやってりゃよかろうに。健康にいい、と言われ、その後に発売禁止になったものがどれだけあ ろうか。短期的に得でも、いつかとんでもない損になるものなんか、おっかなくて手を出せるものか。よくわからない時代に身を守るには、よくわからない話に は乗らないのが一番。


 ついで出てきたのが快楽主義。あえて積極的に快楽を求める、というのではない。むしろ、自分の得になること以外は、まったくやらない。世界のために、と か、社会のために、とか、体のいい話は、たいていうさんくさい。とくに昨今、少子化で、どこもかしこも、タダで便利に使えるバカな子分や人手が欲しくて仕 方がない。自分でやらないヤツらに限って、口先ばかりできれいごとを言う。おまけに、ヤツらは人の肩車を踏み台にして、もっと高いところを目指し、さっさ と逃げ出す。利用するだけ利用したら、人を紙くずのように捨てる。だったら、こっちも最初から、よほど確実に自分が得になるのでもなければ、そんなヤツら には関わらない方がいい。


 そして禁欲主義。これも、べつにムリに我慢するのでもない。現状で満足。それだけきちんと守って、それ以上のことは望まない。そんなのは向上心が無い、 なんて言われたって、いまの時代、ジタバタしたところで上など望みようもない。人口が半減するというのに、経済がこれ以上に発展するわけもないし、いまの 領土だって守りきれるわけがない。絶対にできっこないことでムダに悪あがきする方が、むしろ危険。せいぜいクビにならぬよう、変な濡れ衣を着せられぬよ う、最低限のやることだけやって、できるかぎり手を引き、ひっそりと市井に埋もれ、隠れて生きる。


 古代ローマも政争だらけ。かってに皇帝や将軍を僭称する連中が続出し、それらが互いに争って謀略と暗殺が横行。そんな連中に関わり合っても、いいことな んかない。昨今の日本の会社も、似たようなもの。傾き始めると、むちゃくちゃな帳尻合わせで、去るも地獄、残るも地獄。なんとかやりすごして、なるように なるのを待つだけ。


 残念ながら、努力すればどうにかなる、などというのは、もはやよほど恵まれた、ごく一部の人々のみ。大半は、努力すれば努力するだけ、いいように人に搾 取される。「ワーキングプア」というやつだ。いくらがんばったって、その道は出口には繋がっていない。それどころか、時間ばかりがいたずらに費やされ、道 はどんどん細くなる。選択肢が無くなったところで、最後は自分自身のクビを絞める縄をなうはめに陥る。V字回復戦略企画室長、別名、リストラ本部長なん て、その典型。


 ろくな仕事も無い、貯金も無い、結婚もできない、家族も持てない、という若いやつらの中には、いっそ箱根だか富士山だかが吹っ飛んで東京が壊滅し、すべ てがひっくり返ったら、なんて不謹慎なことを心の底で望んでいるやつもいるのではないか。まあ、そうでないまでも、世の中は、いつかはかならず適当にひっ くり返る。


 そうなるまで、おもしろくもないだろうが、とりあえず生き残っていくには、臥薪嘗胆、のらりくらりと我慢が肝心。ヤケを起こし、調子のいいヤツの話に乗 せられても、捨て駒にされるだけ。自爆テロと同じ。時代の巨大な潮流は、きみが一石を投じたくらいでは絶対に変えられない。ポジティヴにがんばるべきだ、 なんて人に言っているヤツらには絶対に騙されるな。


 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京 藝術大 学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステ リ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

/「世界」が君の夢にすぎないだけではない。君こそが世界の夢にすぎないのだ。/

 年来、『七つの習慣』のコヴィーだの、個人心理学のアドラーだのがはやりだが、どうしていまさらこんなのが、と思う人も少なくあるまい。仏教をか じったことがあれば、それは理解していて当然の話だから。哲学でも、ショウペンハウアーの『意志と表象としての世界』に出てくる。戦前は学生歌の「デカン ショ節」として、デカルト・カントと並び称せられるほど、ショウペンハウアーは人気だったのだが。


 ようするに、君が言う「世界」は、君が見ている夢にすぎない。現実の世界とは別物。テレビだかインターネットだかで君は情報を集め、君のねじ曲がったコ ンプレックスに基づいてそれらの情報を理解し、自分勝手に継ぎ接ぎにつなぎ合わせて、「世界」を捏ち上げている。君は自分の目や耳で、ほんとうの世界をじ かに取材しようともしない。にもかかわらず、自分自身で作り上げてしまった、映画の『マトリックス』のような仮想現実の中に君自身も登場人物として入り込 んでしまい、むだにもがき苦しんでいる。『ボヘミアン・ラプソディ』の悪夢。


 たとえば、星空を考えてみよう。星座は、それらの星の点をどうつなぐかで、できあがっている。だれかに習って、それが当たり前になると、星空を見ただけ で、それらを星座に切り分け、星をつなぐ。だが、その切り分け方は、君が勝手にやっていることだ。別様に切り分けることもできるし、別様につなぐこともで きる。そうすれば、まったく違った星座の形に見える。


 事実でも同じこと。物理的な事実がある、としても、その事実を過失と見るのか、故意と見るのか、は、君がやっていること。事実そのものとは関係が無い。 いや、故意だという証拠の事実がある、と言っても、これまた、君が、あることを別のことの証拠として関連づけているだけで、妄想の陰謀説と大差ない。で も、君は、自分の発見とやらを疑いもせず、人にまで言い散らし、同じ妄想仲間を増やすことに躍起になる。しかし、増やさないと増えない、増やせば増える、 というところが、まさにおかしい。本当に真実である物事が、そんなに恣意的でありうるだろうか。


 仏教は、アドラーなんかより、はるかに奥が深い。世界が君の夢であるだけでなく、君という存在そのものが世界の夢にすぎない、と言う。君は、妄想にせ よ、自分が「世界」を見ている、と思っている。だが、それは、世界が、君がそう思っている、という夢を見ているから。つまり、君は、世界が見ている夢の中 の登場人物。世界がまどろみから醒めれば、君という存在そのものが消えてしまう。


 君は、「世界」の出来事に、喜び、悲しみ、笑って泣く。だが、その喜びも悲しみも、笑みも涙も、世界の一時の夢。水素と酸素、炭素、窒素にミネラル少々 が、しばらくの間、人間の形となり、「仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明」として、互いにふれあい、周囲を照らし、瞬いて消えていくだけ。いず れ寿命が来て消えていく古い場末の酒場の看板のネオン灯もまた、きっとその場にあって、自分なりに「世界」を見て、喜び、悲しみ、笑って泣いているのだろ う。だが、そんなことは、誰も気にしない。それ以上でも、それ以下でもない。


 人もまた同じ。大きな世界、宇宙の時間からすれば、そんな小さな発光現象が、どんな「世界」を夢見ていたか、何を喜び、何を悲しんでいたのか、など、知るよしも無い。結局のところ、ちょっと風が吹いただけ。まあ、なにごとも、あまり気にするな。大したことじゃない。


  (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大 学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲 学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

/大学は知のテーマパーク、文化のサーカス。そんなところに遊びに行くのに、役に立つとか、立たないとか、貧乏くさいことを言っていたら、すこしも楽しめないよ。/

 大学は役に立つべきだ、なんて言っている人、まず教養が無い。もっとはっきり言ってしまうと、育ちが悪い。すべて金儲けの損得勘定で世界を計れ る、という発想が、人間の品性品格として貧しすぎる。そんな考え方しかできないんじゃ、どんなにカネを儲けても、けっして人として幸せにはなれないよ。 ちょっとはちゃんと大学で勉強してみてはどうだろう?


 たとえば、海外旅行が役に立つか? ヨーロッパ10日間名所巡りに行っただけで、英仏独語ができるようになって、向こうで友達ができて、大きな商談がまとまり、参加費用以上の収益が出たりす るか? ディズニーランドやUSJが役に立つか? あれこれ見て、あれこれ乗って、それで教養が身についたり、体力が身についたりするか?  落語を聞いたり、小説を読んだりして、言葉や漢字が覚えられるか。そもそもそんなことを求めて、落語や小説に親しむやつがいるか?


 大学も似たようなもの。知のテーマパーク、文化のサーカス。見たことも聞いたこともなかったような世界の不思議な話が集まっている。それがときには役に 立つこともあるかもしれないが、おうおうにまったく役に立たないというところが、すごくおもしろかったりする。たとえば、ガロア理論なんて、この世に生き ていて必要になるなんていうことは絶対に無いし、そんなの学んでも、まったく役に立たない。でも、これが、ものすごくおもしろい。いったい、だれがこんな すごいことを考えたのか、と考えるだけでも、わくわくする。


 大学が役に立つべきだ、なんていう決めつけが、日本人だけの極端なガラパゴス的発想。明治維新以来、和魂洋才、欧米に追いつけ追い越せ、で、「大学」と いう名のなにかが情報輸入と産業開発の拠点とされてきてしまった。でも、それ、世界標準の、本来の大学じゃない。そっちの方が変。もともと大学なんて教会 や寺院の付属機関で、神仏の作りたもうたこの世界の驚嘆を学び知るための場所。学び知ったところで、それは神仏だからこそできたことで、人間が学び知った ことを役に立てようなんて思ってもみなかった。せいぜい神仏の御意思を理解し、みずからもまた非力を尽くそうとするくらい。


 大学は役に立つべきだ、なんて馬鹿なことを言っている人、ちゃんと大学で勉強してごらん。この世に人間というものが登場して以来、人間は役に立たないこ とばかりやってきた、ということがよくわかる。極言すれば、人間なんていうものがこの世界に存在していること自体、なんの役にも立っていない。まず、大 学って何か、役に立つってどういうことか、落ち着いて考えてみたら、どうだろう? 昨今、中途半端な日本の「大学」=官僚制のドロップアウターたちが旧全学連のポルポト派よろしく大学解体論で庶民を煽るが、大学は何だかわからん、自分た ちにわかるものにしろ、って、それ、勉強じゃないよ。よくわかんないから、勉強してみようか、っていう話なのに。


 海外旅行と同じ。行きたくないなら、行かなければいいだけ。役に立たないことなんか勉強したくない、というのなら、しなくたって、べつに何の問題も無い。他に専門学校とかが無いわけじゃないんだから、「実学」とやらをやりたいならば、そっちに行けばいい。な のに、なんで全部の大学を捻り潰してまで、大学で勉強したいという人たちの邪魔する? なんでも欲得で計算するやつらの言うことには、なんか裏に別の欲得 の計算があるようで、よけいうさんくさい。大学が「実学」だらけになったら、キッザニアじゃあるまいに、知のテーマパーク、文化のサーカスとして、安っぽ く、俗っぽくなるだけ。世界から取り残され、日本人が精神としてより貧しくなるだけ。オリンピック同様、偉大なるムダも大切なことだと思うけどなぁ。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲学、メディア文化論。著書に『夢見る幽霊:オバカオバケたちのドタバタ本格密室ミステリ』などがある。)

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