純丘曜彰教授博士:生活の哲学 Prof.Dr. Sumioka's Philosophy

大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰博士が日常の生活の中にある身近な哲学について平易に語ります。

2014年11月

/外に敵を求めてケチをつけているだけでは何にもならない。本当の問題は、今のダメな君自身。それを救えるのは、十年後の結果を知っている君だけ。/


 あいつがあんなことやったって、絶対にうまくいかない。いや、うまくいかないのは、おまえがジャマをするせいだろ、って、それ、どっちもヤツ当たりじゃ ない? 政治家って、なんでどこも人の党の批判ばっかりやっているんだろう。そして、君も、似たようなヤツ当たりばかりやっているんじゃないの?

 外に目標を見定め、それを乗り越えていくことで自分を高める。これは、フィヒテやヘーゲルが考えた外的弁証法。マルクスなんか、さらに派手に、資本家を 倒せば労働者の世の中が来る、って、ぶち上げた。個人でも、ライバルや試験、賞など、自分の目標を高く掲げ、それを引き寄せることで自分を引き上げようと する人は少なくない。高い山にロープを架けて、それを引っ張れば、自分が登れるはず、というわけだ。とはいえ、実際は、自分より上にある物、上にいる人に なんでもロープを引っかけ、それだけで、それより上になった気になっているだけのやつばかり。でも、それじゃ、すこしも登っていないし、ロープがすべっ て、君の頭の上に落ちてきただけ。

 ヘーゲルやマルクスが全盛の十九世紀半ば、外的弁証法とは反対のことを言い出した哲学者がいた。キルケゴール。ガチのクリスチャンで、人間は自力救済は できない、神が肉として生まれ、肉として死んだことにすがってこそ、人間も救われる、というキリスト教の原点を重んじた。これが、その後の実存主義では、 宗教色抜きになっていく。内的弁証法、と呼ばれるものだ。

 ようするに、ダメな君が、他人を批判してみたところで、その批判自体がダメ。ダメな君が、目標を決意してみたところで、その決意自体がダメ。いくらやっ ても、ぜんぶ空回りする。あんなやつより、おれの方が、とか、よし、酒は止めよう、とか言ったところで、具体的には何にもならない。だから、また明日も まったく同じように、他人の批判だの、目標の決意だのを振り回しているだけ。そして、明後日もそうだ。

 ほら、十年前を振り返ってみてごらん。君は、やっぱり、今と同じ、そんなことばかりやっていたじゃないか。この十年の結果を踏まえてみれば、十年前が失 敗だったのは一目瞭然。でも、いまの君なら、もっと具体的に、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、と思うことも、いろいろあるんじゃない か。

 それは今も同じこと。今のダメな君には、今のダメな君を救う力など無い。だったら、十年後の君に救ってもらえ。今のダメな君を、十年後の君に丸のまま貸 してやれ。ごちゃごちゃ反論したり、質問したりせず、十年後の君が今のダメな君に、こうしておけばいい、ああしておけばいいと助言してくれることを、その まま素直に実行しておけ。実際、この手、かのスティーヴン・キングがやっている。あまり恵まれた少年時代、青年時代ではなかったが、貧困と虚弱、アル中を 克服し、いまの成功を掴んだ。

 人生は、大きな物語だ。作家であれば、大団円の結末から逆算して、それより前の章に伏線を張っていく。囲碁でも、料理でも、できあがりから逆算して布石 や下味を準備するものだ。今のダメな君のように、行き当たりばったりで右往左往しているヒマがあったら、十年後から逆算して、今、すべきことをすべきだ。 今のダメな君には、いくら考えてみても、それが将来、何の役に立つのか、などということはわかるまい。だが、十年後の君なら、なんでも知っている。その十 年後の君の言い分に耳を傾けてみてはどうだ?


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

/それを探すには、それがあることを信じないと始まらない。そして、ほんとうに信じるなら、たとえそれが今日、見つからなかったとしても、その信念はまったくゆるがない。自分を信じられるやつだけが、自分を探し、自分を見つけることができる。/

 えーっ、あんな広いところで、百円玉を探せったって、そうそう簡単に見つかるわけがない、と言う人。そう、きみには見つけられないよ。だって、きみは真剣に探す気が無い。ある、と信じないきみは、真剣に探しもしないから、けっして見つけられもしない。

 だけど、いくらがんばって探したからと言って、それで、百円玉が見つかるとはかぎらないじゃないか。いや、むしろ、現実には百円玉なんて見つからないだ ろ。そうきみが言うなら、まあ、あの代々木公園を、まるまる一日、歩き回って、百円玉が見つけられなかった、としよう。で、それだから、どうした? 今 日、見つけられなかったからといって、それで、百円玉は代々木公園には落ちていない、と、言えるのか。あんなに広い公園の中の、ほんの小さな百円玉だぞ。 たかだか一日歩き回ったくらいで、それで見つからなかったとしても、百円玉が一つも落ちていないことの証拠にも何にもなりはしない。今日、歩き回ったとこ ろでは、たまたま見つけられなかっただけだ。百円玉の一個くらい、絶対、どこかに落ちている。明日は、また別のところを歩き回って探せばいい。今日のとこ ろで見つからなかったのだから、むしろ明日のところで見つかるにちがいない。

 なぜ東大卒がタフなのか。いったん自力で難関を通ってきた自信があるから。だから、自分自身を信じることができる。そして、なにがあっても自分自身を信 じ続け、いつかほんとうの自分自身を見出して、どんなことでも、ほんとうにやり遂げてしまう。一方、推薦だの、なんだの、いったん「裏口」から入ることが できてしまったやつは、いつもまた「裏口」を探そうとする。それが、いつもどこかにあると信じて、まともな努力もせず、そればかりを探し続ける。それがせ いぜい自分にできる最善だと信じている。まして、一度、挫折してしまったやつ。どうせダメだ、と思って、本気でがんばらない。だから、うまくいかない。そ れで、ほらやっぱり、と、いよいよ失望を深める。そして、そのせいで、なにもせず、なんにもならない。

 良くも悪くも、若いときの最初の経験が世界観のすべてを作る。その最初の世界観に基づいて、人は人生の可能性を信じる。その可能性へめがけて、行動を起 こす。ところが、不思議なことに、その結果は、たとえ期待通りでなくても、その人の信念、哲学には、なんの影響もしないのだ。敗北は敗北ではない。失敗は 失敗ではない。そんなものは、数限りなくある道のたった一つが行き止まりだったというだけにすぎない。むしろ、それ以外のどれか他の道で行けば行ける、と いう、新しい、より現実的な可能性が見えてきた、喜ばしい成果だ。道はけっして一つだけじゃない。きみをけなす人、ジャマする人がいても、そいつが全世界 を代表しているわけでもない。広い世界の中には、かならずきみを歓迎してくれる人たちがいて、そこでは、きみの成功が、いまかいまかときみの到来を待って いてくれている。あとは、きみがそこにたどり着く正しい道を見つけることだけだ。

 信念がくじけ、立ち止まったとき、人は、道を見失う。道半ばで挫折した連中が船幽霊のように、きみの信念を打ち砕き、同じ亡霊の世界に引きずり込もうと する。だが、それは、まさに連中が見せる悪しき幻影だ。騙されるな。自分を信じられるやつだけが、自分を探し、自分を見つけることができる。いまからでも 遅くはない。あの広い代々木公園だ。百円玉の一枚くらい、絶対に落ちている。同様に、この広い世の中には、きみのチャンスもかならずどこかにある。後は、 きみがその存在を真剣に信じ、真剣に探すかどうかだ。探しさえすれば、きみは絶対に見つけられる。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

/バイトは自分の人生という貴重な資産を切売りしているだけ。気づくころには、本体価値が残っていない。きみが1時間で作り出すものは、きみの時給よりはるかに価値がある。若いうちに自分自身に付加価値を付ければ、人に搾取されることなく、その剰余をその後の数十年にわたって自分で享受することができる。/

 バイト、って、時間切売りの奴隷でしょ。売春と同じじゃん。「アルバイト」は、もともとはドイツ語で、そこそこの学生にしか理解できない言葉だった。そ れを理解できる学生、自分で勉学費や生活費を工面している苦学生を支援しよう、という善意で、バイトは生まれた。ところが、腐れファストフードあたりか ら、正社員採用を前提としない、つまり後腐れの無い、その場限りの単純労働力として、学生を搾取するようになった。つまり、恋愛や結婚の前提抜きの売春の 同類。

 若いうちは、自分の未来の時間が無限にあるように感じる。だから、ほんの数時間くらい、人の奴隷になっても、カネになるなら、なんて考える。それどころ か、あの有名の店の裏側を見せてもらえて、おカネまでくれるなんて、などと思う。しかし、そんないい仕事なら、社員たちがみんな自分たちでやってるよ。自 分たちでやらないのは、絶対に割に合わないから。

 就職活動で、自慢げにバイト歴を話すバカがいる。だが、バイト歴なんか、学生時代の活動として評価する会社は、絶対に、どこにも存在しない。バイトな ど、学生時代にまともな学校の勉強をしてこなかった、社会の活動もしてこなかった、という、最悪の経歴の空白でしかない。そんな風にかんたんに人に騙され るようなやつは、企業ではバイトとして以外は使いものにはならない。

 剰余価値説を持ち出すまでもなく、きみが1時間で作り出すものは、きみの時給より価値がある。だから、きみを雇って働かせる。いや、だけど自分でハン バーガーを作ったって、1つも売れないよ、と言うだろう。そんな考え方だから、きみは、自分を奴隷として安売りして、いいように「搾取」される。それな ら、ハンバーガーチェーンを作ったやつの最初のハンバーガーがすぐに売れたとでも思うのか。何千個も売れないハンバーガーを作ってきて、そうやって、売れ るハンバーガーの作り方を作った。そして、その作り方どおりに、言われるがままの、世間知らずのバカなアルバイトどもを働かせれば、売れるハンバーガー が、寝てても、どんどんできあがる。

 人に搾取されるのもイヤだけど、人を搾取するのもイヤだ、なんて、御立派なことを言うのなら、こんな手もある。たとえば、1時間かけて短編のマンガか小 説でも描いたらいい。それを電子出版する。もちろんすぐには売れないかもしれない。でも、続けていくうちに、すこしずつファンが付いて、君が寝ていても、 きみの作品がかってにカネを稼ぎ出すようになる。いわゆる印税生活だ。きみが1時間で作り出すものは、きみの時給より価値がある。きみの創った作品は、バ ルタン星人みたいに、きみの分身となって働いてくれる。言うまでもなく、分身は多ければ多いほどいい。

 そりゃ理屈ではそうだろうけれど、そんな才能も無いし、なんて、きみはまだ寝ぼけたことを言うかもしれない。だった、なおさらだ。才能が無いなら、新た に能力を付けることにこそ、自分の時間を使うべきだ。自分は自分の作品だ。1時間、きみが厨房やレジにいたって、きみの付加価値は変わらない。それどころ か、ムダに年だけとって、いくら時給をもらっても、じつは人生という本体資産を減価償却してしまっているだけ。英語でも、スペイン語でもいい。簿記でも、 エクセルでもいい。なにか能力を身につけて、将来、月給が1万円でも高い職につければ、学生時代のアルバイトの遺失利益なんかかんたんに取り返せる。逆 に、バイトにほうけて学校もいいかげんになり、就職もできなければ、いくらかつてバイトの時給が高かかったとしても、生涯賃金としては丸損じゃないか。

 バイトは売春と同じだ。目先の高い報酬は、将来の幸せを先取りして切売り安売りした結果にすぎない。バイトだの売春だのに明け暮れていれば、気づいたと きには、自分の未来が、まるまる無くなってしまっている。20歳の1時間は、50歳の30時間に相当する。その1時間に、きみが自分自身に付加価値をつけ れば、その後の30年間以上に渡って、それが生み出す剰余を自分で享受できる。きみが1時間で作り出すものは、きみの時給よりはるかに価値がある。そんな 貴重な1時間を、きみを騙して搾取する悪い連中に安売りしたりせず、将来の自分自身のために、自分自身の付加価値を上げることのためにこそ注ぎ込むべき だ。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

/昔と違って、市場が流動化している。そのために、およそ製作費の50%は、営業にかけないといけない。しかし、一人で150%ものことはできない。だからと言って、本業を人まかせにしたら、いったい何が本業なのか。/

 ジョニー・ディップ、最近の映画、やたらメイクが濃いでしょ。いや、ヒュー・ジャックマンやロバート・ダウニーJrでも同じ。後姿だけでもわかるような 派手なコスチュームばかり。でも、あれ、じつは本人じゃないから。よほど顔がアップのシーンでもないかぎり、ボディダブルと呼ばれる代役を使っている。も ともとは位置や照明の調整、アクションシーンのスタントなどのために、映画でボディダブルが使われるようになった。ところが、今日、ボディダブルをフル活 用しないと、スケジュールが間に合わない。

 スケジュールと言っても撮影ではない。営業だ。昔は、映画会社は映画さえ作っていればよかった。あとは各国の配給会社がよろしく営業をやってくれた。と ころが、いまは製作費の50%、つまり製作費が1億ドル、100億円なら5000万ドル、50億円を広告宣伝にかけないと映画が当たらない。極東の国のど うでもいい各局のワイドショーの、どうでもいいアナウンサーたちに、どうでもいい独占インタヴューを撮らせないといけない。そういう密着仕事の方こそ、本 人でないとまずい。そのせいで、映画本体の方はボディダブルまかせ。

 小説家や漫画家でも同じ。昔は好き勝手に書いて納品すれば、そのまま先生様の玉稿で通った。しかし、昨今、書く前から編集部と細かな打ち合わせをしない といけない。そのうえ、書いた後にもかなりの量の直しが求められる。同じ週単位、月単位だと、仕事が回らない。それで、完全に担当編集者の言いなりになる か、さもなければ、著作者は編集部との調整交渉に50%の能力を割いて、著作の50%の方をアシスタントにやらせるかしか方法がなくなった。

 あなたが街のケーキ屋で、とても良い商品を作っているのに売れないなら、売る努力が足らない。製作にかける努力の、さらに50%増しで売る努力をしない といけない。昔なら、商店街で、そこに店を出していれば顧客はそれを選んでくれた。ところが、市場が大きくなり、顧客は車であちこちへ出かけ、さらには通 販で遠くのものまで視野に入れるようになった。その中で生き残るには、あなたもまた、遠くの顧客まで視野にいれて、営業活動をしないといけない。

 しかし、そんな余力はない、そんなことをしたら、商品の製造が追いつかない、と、あなたは言う。でも、話は、映画や小説、漫画と同じ。営業の方は、あな たでないとできない。だから、いまの時代、製造の50%は、アルバイトに任せればいい。なんなら、2店舗にして、それぞれ100%をアルバイトにやらせ て、あなたは2店舗の営業に専念してもいい。さらに支店をどんどん増やして、これらの支店の管理も別のだれかにやらせ、あなた自身はチェーン店の広告塔と してタレントになればいい。レストランでも、美容外科でも、みんなどこでもやっている手法じゃないか。いや、小説家や漫画家でも、そうやってプロダクショ ンを大きくしてきたところは少なくないじゃないか。

 働いたら負け、というのは、本当だ。自分でやっていたら、どんなに努力して良いものを作っても、いまの時代は売れない。売ってナンボの商売としては、働 くのはアルバイトや従業員、外注のゴーストライターにやらせ、自分はへらへらへろへろを愛想を振りまき、ひたすら外回りに専念した方がいい。それに、もち ろん、作るのはアルバイトや従業員、ゴーストなんだから、簡単にできるように手順を変えないといけない。遠くの顧客まで宅配するとなれば、見栄えを保つた め、怪しげな添加物なんかもやむをえないだろう。

 だがね、バカなアナウンサーのバカなインタヴューを受けて愛想笑いをする演技のために俳優になったのか。エセ文化人タレントになって有名芸能人たちとク イズ番組で同席するために小説や漫画を書いてきたのか。駅前の壁看板やテレビCM、安物の大量生産レトルト食品のパッケージに、でかい顔写真を出すために 料理を学んできたのか。そんなことにうつつを抜かしていて、人まかせの肝心の商品の出来が落ちていって、それで、この競争の厳しい時代に、いつまでも仕事 が続くと思うのか。

 人生は短い。余計なことに時間を費していたら、本業にかけられる生活は残らない。いや、そんなことを言ったって、いまの時代、こうしないと大きな仕事は できないんだ、と、言うかもしれない。でも、どんなに大きな仕事でも、自分の名前が載っているだけで、自分でやらないのだったら、それは自分の仕事じゃな いんじゃないか。まして、本業を人まかせにして、そのせいで自分の評判まで落としたら、元も子もないんじゃないか。私なら、たとえいつまでも小さな商売に 終始するとしても、広告に釣られて増えただけの一時の浮動客より、長年の地元の顧客の方を信じて、いま以上にさらに大切にしようと考えるけどね。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士
(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。)

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