純丘曜彰教授博士:生活の哲学 Prof.Dr. Sumioka's Philosophy

大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰博士が日常の生活の中にある身近な哲学について平易に語ります。

2014年03月

/一秒一秒という砂金を大切に拾い集めて、そこから実りを引き出すか、それとも、こんなちっぽけなもの、と、指で弾き飛ばしてしまうか。しかし、自分の幸せを自分で捨ててしまう人は、ぜったいに幸せにはなれない。/

 男がいつものように玄関を開けて出ると、そこになにか金色に光る小さなものが落ちていた。拾ってみる。麦粒ほどのなにか。金色のメッキかペンキが剥げて 丸まったものか。へっ、なんだ、くだらない、つまんねぇ、と、男は、それを指で弾き飛ばした。そして、翌朝、起きて出る。おや、まただ。拾ってはみたもの のの、こんなもの、と、ぽい。ところが、その翌朝も。もう拾いもしない。靴で蹴散らした。どこが来るのか知らないが、とにかく毎日、毎日。こんなちっぽけ なもの、たとえ本物の金であっても、なんの役にも立たない、と、やがて気にもしなくなった。

 今日もまた、息もできないほど満員の電車で通勤。窓からぼーっと外の景色を眺める。都会の街中ながら、小さな畑が見えた。黄金の麦畑。自分と歳も大差な いやつが、タオルで汗をぬぐいながら耕している。幸せそうだ。自分とは何が違ったのだろう。そんなことを思い悩んでいるうちに、ほんとうに気分が悪くなっ てきた。立っていられない。次に止まった駅で降り、会社に遅刻の連絡して、とにかく駅の外の空気を吸うことにした。

 さっきの畑のところに出た。きれいに手入れしていますね。ええ、おかげさまで。これ、麦ですか? ええ、麦です。どうしてまた麦を? いや、家の前に一 粒、落ちてましてね、それも毎日ですよ。拾い集めて、テーブルの上の植木鉢に植えたら、穂が出まして、その実りをベランダのプランターに植え、また植え、 また植えしていたら、とうとうこんな家庭菜園です。手入れがたいへんですが、それがまた楽しみでしてね。

 あなたは、いつも空を見あげ、どーんと大きな純金の塊でも降ってこないか、と期待している。しかし、砂金は、まめに川底の泥を浚っていてこそ見つかるもの。それを丹念に拾い集めて、革袋いっぱいにするもの。

 毎日二四時間、その一秒一秒、あなたには天から砂金が降り注いでいる。それを集めて、撒いて育てて畑にするか、それとも、毎度、鼻クソといっしょに丸め、指でどこかに弾き飛ばしてしまうか。

 そして、こんな寓話が、まさに黄金の麦種。たまたまあなたはこのページを開いた。へっ、なんだ、くだらない、つまんねぇ、と、指で弾き飛ばして忘れてし まうのも、とりあえず拾って自分自身の庭に撒いてみるのも、あなた次第。しかし、幸せを自分で捨ててしまう人は、ぜったいに幸せにはなれない。だが、どん な小さな幸せでも、それを拾い集めて、大切に育てていけば、そこから芽が出て、穂を着け、大きな実りにもなる。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。

/他人のつらさはわからない。専門の医者ですらわからないことだらけなのだから、シロウトが他人を詐病だなどとあげつらうのは、変じゃないか。わからない以上は、思いやりを持って接し、それで騙されたとしても、本当に苦しむ人を心まで傷つけるよりはまし。/

 体の強いやつを友達にするな、と、吉田兼好も『徒然草』で書いている。病気や障害のつらさというのは、本人でなければわからない。ところが、ムダに屈強 な体力バカは、他人のつらさはわからない、ということがわからない。色盲の人の目の前で手を振って、なんだおまえ、目が見えてるじゃないか、この嘘つき!  などとやって、勝ち誇ったように悦に入ったりする。

 感音性難聴などという障害も、この色盲と似たようなものらしい。音が聞こえない、というのではなく、音の存在そのものは聞こえても、周波数的に音像が崩 れていてうまく聞き取れない、という、内耳神経系の障害。物理的な音波振動に関する外耳や中耳の伝音性難聴と違って、ただ音を拡大するだけの補聴器を使っ たところでどうなるものでもあるまい。色盲にメガネが役に立たないのと同じ。原因もわからないし、治療法もない、そもそも本人がうまく人に説明できないと いうことで、ほんの数十年前まで、うやむやだったとか。ところが、近年、脳波検査(ABR)の発達で的確な判断ができるようになり、電子技術で感音性用補 聴器や人工内耳なんていうのが急激に普及しつつあるそうだ。

 ちょっと前までは、鬱病ですら、世間では、根性無しの怠け者の詐病、とされていた。痛風や糖尿病なんかも、贅沢病とされ、もっとちゃんと働きゃ治る、な どと言うバカがいっぱいだった。女性だけでなく、男性にも更年期障害がある、と、言われるようになったのも、つい最近。しかし、メリノール病だの、脳脊髄 液減少症だの、パニック障害だの、慢性疲労症候群だのとなると、いまだに知らない人の方が多いかも。ぐだぐだ言ってないで、酔い止めでも飲んで、這ってで も職場に出てこい、みたいな鬼上司がいたりする。

 妊婦や老人、子供に関してもそうだ。いや、まだ外見でわかるだけまし。わしは年寄りじゃ、大切にせんか、と、電車の中で老人が若者に無理やり席を譲らせ たら、その若者が目の前で起立性貧血かなにかですぐにぶっ倒れた、なんていうことも。その老人だって、見た目には元気そうでも、つねにニトロを持ち歩いて いる、降圧剤だの、ブドウ糖だの、お守りにしているのかもしれない。

 その分野の専門の医者でもないくせに、ほら見てみろ、あいつは病気じゃない、詐病だ、なんて、シロウトが言うもんじゃあるまい。専門の医者ですら、外か ら見ただけで病気とわかる病気ばかりではないのだから。逆にまた、ほんとうに障害があるなら、できっこないはずだ、なんて、決めつけるものでもあるまい。 足だけで上手に料理や家事、子育てまでやってのける人もいる。脳溢血からのリハビリで、運動能力でも、言語能力でも、驚くほど回復する人もいる。

 もちろん、詐病のやつらは、医者でもよくわからない、という隙間を悪用しようとするのだろうが、医者でもよくわからないことをシロウトごときが簡単に判 断できるわけがあるまい。推定無罪じゃないが、本人が不調を訴えているなら、とりあえずその相手のことを心配してやる、というのが、まともな人間じゃない だろうか。いや、たとえ不調を訴えていなくても、無理に我慢しているだけかも、と思って、無理に無理をさせない思いやりがあってもいいんじゃないだろう か。まあ、なんにしても、他人の病気や障害のことをシロウトが口先であげつらうのは、品性が疑われる。本当に病気や障害で苦しむ人を心まで傷けるくらいな ら、私は詐病の悪人に騙される脳天気な善人でありたい。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。

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