純丘曜彰教授博士:生活の哲学 Prof.Dr. Sumioka's Philosophy

大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰博士が日常の生活の中にある身近な哲学について平易に語ります。

2013年12月

/子供を卒業するジャンニは、最後のクリスマスプレゼントの願いを探しに旅に出た。だが、どこにも理想の国などなかった。/

 ジャンニは手紙をもらった。サンタクロースからだ。きみももう大きくなった。次が最後のプレゼントだ。何を願うか、よく考えて返事をくれ。ジャンニは迷った。それで、何を願うべきか考えるために、遠く旅に出た。

 春、ジャンニは東の国に着いた。若者の都会。ジャンニは学校に行き、多くを学んだ。人より多く学ぶこと。そのためにジャンニは人一倍、努力した。だが、 人もまたみな、だれもが努力していた。毎日、脱落の恐れに苛まれた。だから、ジャンニは、サンタクロースに、だれにも負けず努力ができるように願おうと 思った。しかし、ついには無理が祟り、体を壊し、ジャンニは、そこから追い出された。

 夏、ジャンニは南の国に流れ着いた。大人の楽園。青い海と白い浜。東の国の青白い連中が次々と休暇にやってくるので、適当に歌って踊って遊んでいれば、 仕事に困ることもない。ステーキとアイスクリームに明け暮れる毎日。ジャンニは、サンタクロースに、こんな毎日が永遠に続くように願おうと思った。だが、 ある日、嵐が来た。娯楽も食物も流されて無くなった。代わりに武器を渡された。敵が来る、戦って楽園を守れ、と言われた。恐ろしくなって、ジャンニは、そ こから逃げ出した。

 秋、西の国、老人の町。ここでは働く必要も無かった。東の国や南の国から、日々、膨大なカネが送られてくるからだ。だから、みな毎日、ただカネを使う。 買物と旅行、買物と旅行。しかし、ただ一つ、ルールがあった。町並も、生活も、なにひとつ変えてはいけない。買っては捨てる、買っては捨てる。テレビも映 画館も、同じ作品を流し続ける。歌も、本も、同じ歌、同じ本しか無い。人が死んでもいけない。だから、死人が目を閉じる前に、相続人たちがベッドの横に群 がり、棺桶の中のカネを奪い合って、二世だ、三代目だ、と、襲名を争う。ジャンニも、サンタクロースに、なにかいい相続が転がり込んでくるように願おうと 思った。ところが、この町では、ジャンニの方が、まだ生きているうちから棺桶に放り込まれた。

 まだ働ける。ジャンニは思った。しかし、彼が迷い込み、たどり着いたのは、北の国、絶望の荒野、虚無の強制収容所。作業療法、社会復帰の名の下に、全員 が働かされる。だが、すべてがムダ。表土は凍てつき、雑草さえ枯れる。耕しても、明日には跡も残らない。他の人々と同じように、ジャンニもサンタクロース に願うことにした、もう早く死なしてください、と。やがて心は混濁し、なにも考えることはできなくなっていった。

 ジャンニは目を覚ました。懐かしい自分の部屋だ。だが、なにかが違う。暗い中、鏡を見る。顔一面の白い髭。伸びたままの白い髪。彼は、もう老いていた。 旅が長すぎたのか。窓の外を見る。もらったばかりのプレゼントを持った子供たちが走り回っている。クリスマスの朝のようだ。結局、なにをサンタクロースに 願うのか決められないまま、自分は最後のクリスマスを終えてしまった、とジャンニは後悔した。

 しかし、机の上にはプレゼントの箱があった。リボンにカードが挟まっている。きみの返事が無かったので、私がきみに贈りたいと願っていたものを受け取っ てくれ、と書かれていた。中を開ける。赤いサンタクロースの服。キャンドルとマッチ。ジャンニは、思った。来年からは、自分が子供たちのサンタクロースに なろう、ここに、もっと素敵なクリスマスの国を作ろう、と。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。

/即応・強烈・確実な快楽は、そこに神経連関を形成する。しかし、承認欲求の快楽を応用した、褒めて伸ばす動物的な調教法は、短期的には絶大な効果があるものの、麻薬同様の褒美中毒を引き起こし、かえって人間としての真の自立教育を妨げる。/

 動物園や水族館でサルやイルカの芸当を見たことがあるだろう。知能の高さを展示するためのものだ、などというのは、動物愛護の連中に対する言い逃れ。芸 当をやるたびに陰でこそこそエサをやっているじゃないか。しょせん畜生の浅ましさ。実際、知能なんか関係無い。ニワトリだろうと、同じやり方で踊らせられ る。さまざまな偶然の行動の中で、特定のタイプの行動をとったときに根気強く褒美を与えると、なぜ褒美がもらえるかなんて頭ではわからなくても、体が覚え る。そういう神経連関が形成されるから。

通称「トリプルP」、プレジャー・ペイン・プリンシプル(快苦原理)。人間もしょせん畜生と同じで、ヘドニック・カリキュラス(安楽計算)で動いている、 と、功利主義者のベンサムは考えた。そして、いわゆるアメとムチの外的制度を付加してやることで、人間の動機付けを誘導し、内的な習慣を形成させようとし た。その後のハーズバーグなどの研究により、苦が残っていても快さえあれば動機付けになることがわかり、かくして、承認欲求のみを主軸とする、現在の甘 い、褒めて伸ばす教育法となった。

 ベンサムが考えたヘドニック・カリキュラスは、IDCNFPEの7つの変数から成り立っていた。すなわち、強度、持続、確率、近接、派生、純粋、社会。 しかしながら、動物的な神経連関の形成にとって決定的であるのは、近接、強度、確率だけ。つまり、快楽が即応・強烈・確実なものは、そこに快楽の習慣回路 ができてしまう。たとえば、酒やタバコ、パチンコ。それをやれば、すぐに酩酊や鎮静、興奮という快楽が強烈確実に生じる。それで、そこに神経連関が形成さ れ、快楽を求めて止められなくなる。ネット中毒も同じ。承認欲求を満たすリアクションが即応で集まる。そもそもシステムを作る方が、ゲーミフィケイション の理論に基づき、即応、競争、称賛の中毒回路を組み込んでいる。

 勉強や仕事をがんばるようにさせるには、同様に、即応・強烈・確実な褒美を出してやればよい。オレオレ詐欺のような犯罪行為にハマるのも、ブラック会社 で本当に死ぬまで働いてしまうのも、いかがわしいカルト教団にハマって人生を棒に振るのも、そこにこの三要素がうまく組み込まれているから。自分で苦労し て学費を工面していない学生が、学校なんかサボってカネをくれるアルバイトをした方がマシ、と考えるのも、直感としては当然。その結果として生じる苦につ いては、快に紛れて、気にならない。それどころか、その苦から目を背けるために、さらに強い快の刺激への動機付けが生じる。

褒めて伸ばす教育法は、短期的には絶大な効果を発揮する。だが、長期的にはまずい。第一に、褒美が感覚的にインフレになり、要求は果てしなくエスカレー ト。麻薬中毒患者と同じ。ちょっとの褒美では納得できない、やる気が起きない。第二に、即応・強烈・確実な褒美というシステム自体が、全体で中毒症状を起 こさせ、外的動機付けシステムの無いところでは、自分自身による内的動機付けを作れない体質にしてしまう。それゆえ、第三に、他人が調教した奴隷的な芸当 や労働に明け暮れて、およそ結果の確実ではない、遠い未来の社会的な意義をみずから打ち建てて追い求める真の勉強や仕事ができなくなる。

 人間は、モヤシのように、ただ伸びればいい、というものではあるまい。就職活動で褒めてもらえなかっただけで、心が折れ、すぐに死を選ぶような若者を 作って、なにが教育か。動物的な惰性を振り切り、世間を敵に回しても、高邁な理想を追い求める強靱な精神力こそ、目先のエサに釣られてばかりいる畜生とは 異なる人間の人間性じゃないのか。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士

(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。

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