純丘曜彰教授博士:生活の哲学 Prof.Dr. Sumioka's Philosophy

大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰博士が日常の生活の中にある身近な哲学について平易に語ります。

2012年08月

/恋愛は結婚とは別。恋愛は会っている間のことしかわからないが、相手には別の顔があるかもしれない。恋愛と違って結婚となると、ややこしい親族も出てくる。まして結婚は、将来の約束。今いい相手など、後は人生の坂道を転がり落ちていくだけ。/

 夏は盛り上がったかもしれない。だが、ちょっと待て。ダメな恋愛を引きずっていると、素敵な結婚を逃すぞ。恋愛と結婚は別だ。第一に、恋愛でわかるのは、会っているときに楽しいかどうかだけ。もしかすると彼氏彼女には、あなたに会っていないときの裏の顔があるかもしれない。二股だったり、酒乱だったり、じつはほんとうは既婚者だったり。そうでなくても、仕事や趣味、生き方が合わないと、結婚してもいっしょに生活なんかできない。とくに、家計をひとつにする以上、お金の使い方は大きな問題になる。宗教やギャンブル、ブランド品など、家庭外にカネを持ち出すやつは、やっかいだ。

 第二に、結婚となると、親族が出てくる。昔のように子だくさんなわけでもないから、息子や娘にかける期待は、どちらの家も異様に大きい。それどころか、息子や娘の結婚を、失敗した自分の人生の最後の逆転チャンスと思っているような親もいる。兄弟姉妹が、とんでもないクズということもある。妙なおじやおばがしゃしゃり出てくるかもしれない。そもそも、親族観そのものが大きく違う危険性も高い。嫁は実の娘以上に厳しく仕付けて当たり前、とか、嫁に出した以上は二度と実家の門はまたがせない、とかいう古風なところもあれば、息子や娘の家は自分の家も同然、いつでもかってに上がり込んで食い散らかし、いつまでも居座って、カネでもなんても持ち去る、それのどこが悪い、というような場合もある。まして国際結婚となれば、いよいよややこしいだろう。

 第三に、恋愛は、しょせん今のこと。だが、結婚は、将来を約束すること。今、気立てのいい美男美女でも、先のことはわからない。概して、結婚式が派手な夫婦は没落する。結婚が人生の頂点で、後は坂を転がり落ちていくだけだから。そりゃ、今も立派で、将来も確実な相手なら、それは最高だ。だが、この時代、世襲財閥の御曹司や御令嬢ですら、先のことはわからない。オリンピックで金メダルを取ったやつが強姦事件で逮捕され、大リーグで活躍したやつが飲食店経営でしくじってクビを吊るのが現実。一時、タレントだ、アーティストだ、と、もてはやされても、人気の寿命はあまりにも短い。となると、今はたいしたことはなくても、将来に大きく伸びる、万が一、転んだとしてもきっとうまく立ち直ってくれる夫や妻の方が有望ではないのだろうか。

 さあ、きっぱり別れるなら今のうち。時期を失すると、ストーカーみたいにベタベタとへばりつかれ、しまいにはナイフを持って押しかけて来て、一家全員惨殺、なんていうことにもなりかねないぞ。結婚する気もないのに、目先の楽しさだけで、ダラダラと人の気持を弄ぶものじゃない。その時をやりすごすためだけの誤解を招くような言葉や態度は厳禁だ。どんな面倒も自分がすべて引き受けて相手を守ってみせる、なんて、見得を切ってみたところで、群れをなしてあなたに襲いかかる老獪な親兄弟や親戚連中が、そうそう簡単に変わるわけがない。まして、肝心の相手が、年とともに最低の妖怪に化けた日には、いったいなんのために無理を押してがんばってきたやら。

 一方、会ってみたときは、あまりぱっとしなかったけれど、でも、その後、どうしているだろうか、と気になる相手がいるなら、ぜひ、もう一度、連絡を取ってみよう。この夏、多くの人と会ったはずなのに、べつにその人と親しくしたわけでもないのに、その人のことだけをとくに覚えていて、思い出すというのは、それは、あなたが本当にその人を必要としているからかもしれない。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)
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/ウィルトシャー人は、あいかわらず羊と昼寝ばかり、と、英国の中でバカにされていた。だが、じつは。。。充実した生活のフリばかりをしていても、その果実はあなたの口には入らない。人生の最期にほんとうに笑うには、どうしたらよいのか。/

 緑の野の広がるコッツウォルズ(羊の丘)は、英国の中でももっとも美しい地方のひとつだ。なかでも、ウィルトシャー州は、カースル・クームなどの魅力的な古い小さな村があちこちに点在している。とはいえ、英国の中でウィルトシャー人と言えば、間抜けな田舎者の代名詞でもあった。

 というのも、英国が羊毛で栄えたのは、はるか昔の十六世紀以前の話。その後も英国は、フランスとの戦争を繰り返して大陸側の領土を失い、羊毛の加工販路は細る一方。代わって、植民地インドからの安価な綿織物が大量に流入した。十八世紀にもなると、他の地域は、地力回復のための休耕無しで出来る輪作が工夫され、爆発的に生産高を増やしていた。ところが、ウィルトシャー人ときたら、あいかわらずのんべんたらりと野っぱらで羊と昼寝ばかりしている。これでは、バカにされるのも当然だ。

 そして、その夜は、ちょうど満月だった。仕事で遅くなった地方監督官が家路を急いでいると、小さな池に村の男たちが集まっているのが見えた。止めろ! なんだ、なんだ? 監督官は、馬車を降り、池の縁まで下っていった。どうした? 何をしている? 大きな熊手を持った村の男の一人が答えた。へぇ、見て下せぇ。あそこに、ほら、うまそうな、でっかい丸いチーズが浮かんでるんでやんしょ。あれをなんとか取れねぇか、って、みんなで思案してるところでさぁ。お役人さま、なんかええ方法はねぇもんだろか?

 水面(みなも)の月を熊手で取ろうとは、まったくバカな田舎者たちよ、と、監督官は、大笑いしながら、馬車に戻って、去って行った。それを見て、村の男たちは、さらに大きな声で笑った。じつは、池の底にはブランデーの樽がいくつも沈めて隠してあった。密輸品だ。英国政府がフランスと戦争をするものだから、同盟国ポルトガルの水っぽいワインしか手に入らなくなり、このころ、高級濃縮ブランデーでワインを強めて飲む習慣が英国中で大流行していたのだ。そして、日中、野っぱらで羊と昼寝ばかりしているウィルトシャーの村の連中こそが、夜になると密輸ブランデーの樽を、道々の池に隠しつつ、ひそかにブリストル港から大都会ロンドンへ運び込んでいた。

 ムーンレイカーは、最後にほんとうに笑うやつ、という意味で、007のタイトルにもなっている。いまだって、ウィルトシャーは、古い村をそのまんまにしていたというだけで、観光客が世界中から押しかける。機械仕掛け、電気仕掛けでアトラクションを動かし、しょっちゅうリニューアルしなければならない人工のテーマパークやショッピングモールより、どれほど効率的か。

 さて、あれこれの電子機器を駆使し、寸暇も無く、充実した毎日に大活躍するビジネスマンたち。あなたたちがソーシャルネットワークだの、ツイッターだのに振り回されている間に、あなたたちがバカにする「情報弱者」とやらが、いったい何をやっているのか、知っているのか。バリバリと男社会の壁を破り、いつまでも若さと気力に溢れるキャリアウーマンたち。あなたたちが世界を回し、経済を動かしている間に、あなたたちが蔑む、XXちゃんのママ、という肩書きしか無い「専業主婦」が、どんな時間を過ごしているのか、わかっているのか。

 世間の流行に乗せられ、充実した生活のフリばかりしていても、その果実は、結局、あなたの口には入らない。そんな高額の通信費を使って、それだけあなたの仕事の効率は上がり、それ以上にあなたの給与が増えたのか。それは、仕事をしているフリをするためだけのもので、むしろ、ほんとうは、仕事のじゃま、じゃないのか。まあ、せめてつかの間の夏休みくらい、メールも、ネットもやめて、ウィルトシャー人のように、のんびり昼寝でもして、この機会に、生き方、暮らしぶりをよく考え直してみてはどうか。

 
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)
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/過去は現在にある。その人が誰かは、その人が何をしてきたかで決まる。だから、過去こそが人間の本質だ。未来を売り渡し、喰い潰すのではなく、明日の喜びを今日の楽しみにし、自分に自由を切り開こう。/

 アウグスティヌスは言った、過去は現在にこそある、と。過去は、過去においては、そのときどきに過ぎ去っていく現在にすぎなかった。ところが、それは、この今の現在において、もはやけっして動かしがたい事実として結実し、実在し続けている。ウソをついて世間を一時はごまかせたとしても、いずれはかならず発覚する。そして、そのときは、ウソをついた、という過去も、絶対に消しがたい過去となって、あなたにへばりつく。

 たとえば、隣の部屋から、こちらの部屋へ移ったとして、隣の部屋はもう無くなった、などと誰が思うだろうか。昨日から今日になったところで同じこと。昨日は、今日の隣に厳然としてある。それがわからないのは、また明日、次の隣の部屋へ移ることばかり考えているから。しかし、そう考えたところで、今日も、昨日も、無くなりはしない。それどころか、ときには昨日こそが、あなたの明日を無いものにしてしまう。

 言ってみれば、長い登りエスカレーターを上っているようなもの。本人は前ばかり見ているから、後は無くなったかのように思う。だが、上にいて、あなたに出会う人は、あなたがどこから来て、なにをしてきたのか、あなたの背後にひったりと重なって見える。後が見えないのは、本人だけだ。

 人の価値は、その人が何をしてきたか、で、決まる。たとえいま、どんなに高い地位に就いていたとしても、かつて約束を破った、という事実は、いま、まったく信用できない人物として、その人の名目上の地位よりも優先して人の価値を規定する。そして、いったん傷ついた信用は、けっして取り戻すことができない。同様に、いかにいまカネがあっても、その人がしかるべき品格や教養を身につけてきたのでなければ、そのカネを使いこなすことはできない。つまり、人間は、その過去こそが本質なのだ。

 だから、就職でもなんても、履歴を問う。もちろん、多少の挫折をしたとしても、それを挽回するために努力したのであれば、そのことが履歴に出る。逆に、なんの苦労も無く、運の良さだけで今の地位を得た、というのであれば、その地位の意味も軽い。そして、いずれの場合も、その人の未来は、その人の過去こそが指し示している。

 人は、未来を先取りすることができる。たとえば、借金。これは人からカネを借りるのではない。未来の自分をカネで人に売り渡すのだ。だから、その期日には、過去の自分に売り渡された身の上に落ちることになる。逆に、地道な貯金をしていれば、その満期には、過去の自分から大きな贈り物を得ることになる。

 そのときが楽しければいい、というのは、じつは、明日の自分を売り渡し、喰い潰しているからにすぎないことが多い。やがてかならずツケが回る。試合や試験、就職や結婚、昇進や選挙など、いざというときに、過去の怠惰、悪行、暴力、浮気、裏切、虚言、詐話など、すべての過去が表沙汰になり、結果を大きく左右する。後に悔いてみたところで、いまさら手遅れだ。

 今日一日かろうじて隠し遂せても、過去は消えない。だから、賢明な人物は、いま、できるかぎりの努力して過去のシガラミを絶ち切り、未来の自分を自由へと解き放す。自由は人から与えられるのではない。自分で切り開くものだ。そして、明日の喜びこそを今日の楽しみにする。人生の帳尻は、一生を賄う背負い水のごとく有限だ。しかし、努力すれば、それを呼び水に、さらに井戸深くから清い水を豊かに汲み出すこともできる。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰教授博士 (大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)
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