純丘曜彰教授博士:生活の哲学 Prof.Dr. Sumioka's Philosophy

大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰博士が日常の生活の中にある身近な哲学について平易に語ります。

2011年11月

/合議制は数で決まる。しかし、これを何重にも重ねると、本人と親衛隊13人がいれば、組織全体さえ支配できてしまう。とはいえ、支配そのものを目的とする権力者の存在自体が、もはや時代錯誤の象徴だ。/

 あちこちの国や会社に高圧的な独裁者がいる。議会でも取締役会でも、民主的な合議制を採っているはずなのに、なぜか。いや、ナポレオンでも、ヒットラーでも、この民主的な合議制こそが、少数派独裁者の温床なのだ。
 
 簡単のために、国会議員定数が100人だとしよう。これを支配するためには、この国会議員100人全員を納得心酔させる必要などない。51人だけでいい。過半数の第一党になればいい。そのためには、敵対派を徹底的に弾圧すればいい。しかし、51人を支配するためには、じつは同様に過半数、つまり26人を味方につければいい。旧XX党系のような伝統の派閥。そして、さらにその中に、14人で自分の新グループを作る。要するに、自分自身と13人の親衛隊がいれば、100人の国会全体を乗っ取ることができる。
 
 企業のトップに上り詰める、どう見ても人間性に問題のありそうな悪辣豪腕な人物も、たいていこの合議制のレバレッジを使っている。たとえば、社会全体の中でマスコミが世論をリードし、マスコミの中で新聞業界がテレビその他のメディアを子会社として支配し、新聞業界の中である新聞社が首位を占め、その新聞社の中で政治部が主流であり、その政治部の中で国会番が中心であるなら、一介の新聞記者ごときが、国会番のブラ下がりからスタートして一国の世論を左右する権力者になることも夢ではない。
 
 へたに合議制など無いところでは、単純に群雄割拠の八ヶ岳型になる。離合集散ばかりして、容易にはまとまらない。が、是々非々で暴走もしない。一方、もはや内輪揉めしている場合ではない、いまこそ一致団結して、外部に我々の威力を示そう、なんて、うまいことを言うやつに限って、結局のところ、51%のシェアしかないくせに100%を自分の都合のいいように利用しようと思っているだけの乗っ取り屋。その51%にしても、正味は26%、いやさらにその半分ちょっとの14%にすぎないのかもしれない。
 
 だが、こういう何重もの合議制レバレッジで守られた少数派権力者に正面切って敵対しても、打ち倒すことは、かなり難しい。その権力者を是としているわけではないとはいえ、合議制そのものまで否定するのはいかがなものか、と思っている者たちに、途中の階層で確実に阻止されてしまうからだ。
 
 とはいえ、この権力者の実体は、じつは本人とその腰巾着13人だけ。残り86人は、組織上の立場から、いやいや、この「合議」に従っているにすぎない。そして、側近13人のうちのだれかたった1人でも見放したなら、すべてが一瞬にして瓦解してしまう。そうでなくても、全体において51%が49%になっただけで、その内部各階層の多数派工作は、グダグタになってしまう。権力者と一蓮託生の側近以外のその他の連中からすれば、たんに、寄らば大樹、で従っていただけで、べつに権力者に対する反逆心も無いが、とりたててなんの忠誠心も無いからだ。
 
 さて、もうテレビも見ないし、新聞も読まない。まして野球のことなんか、どこのチームであろうと、丸ごとまとめて知ったこっちゃない。政界の黒幕だか立役者だかなんだか知らないが、政界そのものが国の累積借金の始末でアップアップ。企業にしたって、どこも見かけは立派だが、内情は粉飾まみれの火の車。いまどき、これほどまでに社会から見放されてしまっている組織のトップに君臨し続けたがる「権力者」って、その存在自体が、もう亡霊の頭の三角頭巾のように、時代錯誤の象徴なんじゃないのだろうか。

/ニュースを売る連中は、記事を飾るために、センセーショナルな有名人の言葉を必要としている。だから、彼らは、最初から人の「話」を聞く気などなく、言葉のシッポだけ切り出して筋肉反射する。/

 前農水大臣が反対集会で推進を表明! なんていう記事は、ニュースヴァリューがある。えっ、あの人が推進? と思わせれば、週刊誌は売れ、ネットのヴューも増える。で、実際に本文を読むと、反対運動の推進だったりする。でも、冒頭の見出しはウソじゃない。読むヤツがかってに誤解しただけだ。いや、わざと誤解するように作っている。
 
 記者本人が何を言っても、誰も関心を持たない。だから、売れるニュースを作るために、連中は、人々の注目を浴びている有名人にぶら下がる。そして、その人が言わなそうなこと、言ってはいけないことを言わせようと、誘い水を撒く。文脈なんか、知ったことじゃない。とにかくその言葉を発したという事実さえあれば、ウソにはならない。
 
 新聞記者は帰ってくれ!と怒った政治家がいた。左翼がかった連中が、この手の言葉の切り抜きをやったからだ。しかし、いまや、作為的な映像編集をやるテレビでも事情は同じだろう。ふつう、話は、前置きから始まって、その前置きを踏まえて、その後の言葉の意味が決まり、積み重なっていく。それが話というものだ。たとえば「まったく犬はイヤだね」という言葉も、何にでも鼻を突っ込む同僚の悪口を言い合っていた文脈では、ふつうとはまったく別の意味を持つ。そこだけ切り抜いたら、意味が変わってしまう。
 
 ところが、え、なに、犬、嫌いなの? と、途中から話に割り込んでくるバカがいる。脳みそが無く、耳から舌へ筋肉反射する野郎。それどころか、えーっ、犬ってかわいいですよ、僕んちも飼ってるんですけどね、と、かってに話を続ける。そのうえ、山田さんも、佐藤さんも、みんな犬が嫌いなんだってさ、などと、あちこちで言い散らす。だがね、みんなが「犬」と呼んで嫌っているのは、それこそ、おまえのことなんだよ。
 
 小難しいことを言うと、連中のやり方は、脱構築(デコンストラクション)と言う。もとの文脈もなにも無視して、部分をかってに自分の都合のいいように、自分の中で引用する技法。言ってみれば、他人の家の部材をかっぱらってきて、それで自分の家を飾り立てるようなもの。もとが廃屋なら資源の再生だが、古臭くては飾りにならない。だから、連中は、むしろもっとも旬のところから強奪する。ほら、見て、見て、これ、あの有名なXXさんちの床柱だったんだけど、僕んちじゃ、便器の蓋にしてみたんだ。
 
 連中は、あなたに、自分の記事を飾り立てられるセンセーショナルな言葉しか期待していない。言ったか、言わないか、だけが問題だから、最初からあなたの「話」を聞く気など、かけらも無い。連中には、自分の話の方が先に出来ているのだ。ただ、それの飾りに流用できそうな、知名度のあるあなたの言葉を求め、耳だけをピクピクさせている。
 
 もはやマスコミだけではない。ネットから何から、知名度に対する憧憬と憎悪のコンプレックスが満ちあふれている。有名な話題、人気の人物にぶら下がり、それを踏みつけて、自分を大きく立派に見せたい。連中は、人の話を聞かない。それよりも、自分の話を人に聞いてほしくてしかたないのだ。彼らが必要としているのは、上に登るためにぶら下がれる、他人の言葉のシッポだけ。
 
 しかし、スキャンダルで売る芸能人でもなければ、ウケを狙ってペラペラしゃべり、連中にエサを与えることもあるまい。賢人は、難しい顔をして、たいへん重要な問題だ、とか、前向きに検討しなければならない、とか、あー、とか、うー、とか、ガラクタ言葉ばかりを並べて、連中を窒息させてしまう。けだし、雄弁は銀、沈黙は金。

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