純丘曜彰教授博士:生活の哲学 Prof.Dr. Sumioka's Philosophy

大阪芸術大学芸術学部哲学教授の純丘曜彰博士が日常の生活の中にある身近な哲学について平易に語ります。

2011年09月

/プロジェクトは、時間とカネと出来が3つどもえのトレードオフ。だれがなにをやっても、別の成功定義を立てれば、それは「失敗」にさせられてしまう。これを乗り切るには、コンセンサス法は無理。祝賀法か、先送り法しかない。/


 いまどきだれも、リーダーなんか引き受けるもんじゃない。だれがなにをやったって、絶対に「失敗」する。なぜなら、外部のやつらは、それが「失敗」であるとなるような、別の「成功」の定義をかってに立てるから。
 
 ようするに、こういうことだ。プロジェクトというのは、時間とカネと出来が、三つどもえでトレードオフになっている。だから、目標は、いつまでに、いくらで、どれだけのことをする、という三脚定義に基づかないといけない。ところが、昨今、不景気の中のプロジェクトは、たいてい、このままじゃあかん、どぎゃんかせにゃならん、とような行き詰まりから始まる。とにかく現状から脱出するのが急務だ、とされる。しかし、これでは、じゃあ、どこへ行くのか、何も定義されていない。とりあえず現状を脱したとしても、こんな風になるくらいだったら、前の方がましだった、と言い出すやつがかならず出てくる。それも、おうおうに、そのプロジェクトを依頼したやつからだ。
 
 そうでなくても、さあ、プロジェクトだ、となったら、だれもかれもが、あれもこれもと、やった方がいいことを山のように上げてくる。小学生の学級会や中学校の職員会議のようだ。やった方がいいことなど、人に言われるまでもなく、現場は前からよくわかっている。前からやりたくでもできなかったのだ。なにかしようとすれば、時間とカネがかかる。だが、それにはかぎりがある。全部などできるわけがない。そこで、三脚定義となるが、結局、終われば、こんなに時間がかかるなんて聞いてなかった、とか、こんなことにムダにカネを使って、とか、せっかくやってくれてもこの程度の出来じゃ意味がない、とか、まさに三脚の別の足で、揚げ足を取る連中ばかり。
 
 なにがいけないのか。プロジェクトをやるなら、まず最初に、その三脚定義に関して、きっちりコンセンサスを確立しておかなければならない。とはいえ、このコンセンサス法は、現実には無理だ。始めるときは、それだけでも、と言うが、終わったときには、もっと、と言うのが、人間のサガ。たとえば、家を失ったときには、せめて屋根さえあれば、と言うものの、実際に仮設住宅に入居したら、暑い、寒い、狭い、遠い、と、不満ばかりが吹き出る。そのうえ、プロジェクトを依頼したやつらですら、まわりからつつかれると、もうすこしどうにかならんかったのかね、と、後からプロジェクトの批判に回る。条件の整わない現場で試行錯誤しながら必死に活路を切り拓いても、それを後知恵でどうこう言われては、どんなプロジェクトも、ひとたまりもあるまい。

 むしろ逆に、終わったときに、これで「成功」なのだ、と言い切る高圧的な権力こそが、プロジェクトを「成功」させる。へたに事前に三脚定義など示さず、その出来こそ当初からの計画だ、として、祝賀会を開いてしまう。今回はとりあえず市場反応を探るのが目的で、この新商品で利益が出ないことなど最初からわかっていた、とか、これによって試作の第一段階はみごとにクリアした、とか。どこぞの国も、こんなこと、しょっちゅうやっている。そんなんで、みんなハッピーに祝っているじゃないか。
 
 だが、そんな権力はない、という人にも朗報。やはりお役人は賢い。もうひとつの手がある。終わったなんていうから、出来が問題になる。だったら、永遠に、終わらせなければいい。カネも、永遠に追加予算を組んで、結局、これまでにいくらかかったんだか、わからなくしてしまえばいい。出来も、いやいや、これはまだ途中だから、なんていって、シナジー効果だの、波及効果だの、わけのわからない外挿法で、楽観的未来予想だけ次々と作り直していけばいい。そうやって、日本は、森鴎外の言うように、明治以来、永遠の「普請中」だ。あちこちの企業も、ゴーイングコンサーンを名目に、会社が傾こうと、世間に迷惑をかけようと、だれも責任を取らされることもなく、無事に定年まで勤め上げ、高額の退職金をもらい、法外な企業年金をせしめ続ける。
 
 しかし、それでいいのか。それでもプロジェクトか。潰れたら大変なことになる、とかいって、なんでもかんでもごまかして先送りにしてきたが、もう無理なんじゃないか。第二の祝賀法でごまかしてきた中東の独裁国があちこちひっくり返っているが、第三の先送り法でごまかしている欧米や日本も、そろそろ「年貢の納め時」なんじゃないか。これ以上、破裂したら困るような糞袋を膨らましたりせず、いったんきれいに決済精算して、責任を取るべき方々には、しかるべく御退場いただき、まっさらな新しいプロジェクトで、新しい芽を伸ばした方がいいんじゃないか。

/晩年、カール大帝は、呪われた指環のせいで、若い女に狂い、信仰にのめり込む。大僧正テュルパンは、この指環をアーヘンの街外れの底なし沼に捨てた。しかし、大帝は、その沼へ入っていってしまう。/


 西暦800年頃、フランスからドイツ、イタリアにまで広がるヨーロッパの大帝国を築き上げた皇帝シャルル・マーニュ(カール大帝)。その偉業は、どこの教科書にも出ている。だが、その彼の晩年については、どこの教科書にも載らない有名な伝説がある。
 
 突然、彼は恋をしたのだ。相手は、はるかに年の離れた、うら若き女性らしい。年甲斐もない、いや、なかなかなもの、と、アーヘンの街中の話題になる。だが、いったいその相手はだれなのか。夜な夜な皇帝の寝室にやってきているようだが、そのうち皇帝はげっそりと痩せ細り、目も虚ろになっていく。大僧正テュルパンは、ただならぬ気配を察し、意を決して、深夜、皇帝の寝室へ。そこは異様な臭気が立ちこめていた。ベッドの中には腐った女の死体。皇帝はそれに抱きつき、キスをしながら、恍惚の表情を浮かべている。驚いた大僧正は、力づくで皇帝を引きはがす。黄ばんだ歯だけが並ぶ女の骸骨が高笑い。その口の中で、なにかが光る。黄金の指環だ。
 
 大僧正テュルパンは、その口に手を突っ込んで指環を抜き取ると、アーヘンの大聖堂に持ち帰り、十字架像の中の宝壺に入れ、王にかけられた呪いを解かんと必死に願った。おかげでようやく皇帝も我に返り、こんどは一転して熱心に教会通い。朝、昼、晩とやってきては、十字架像の前で額づき、祈りを捧げる。信心深いのはけっこうなこと、と人々は評したが、これまた皇帝の様子がおかしい。仕事もせず、食事も取らず、時間になると、ただ教会へ行かねば、と、目の色を変えて飛んでいく。大聖堂の物陰から大僧正が覗き見てみれば、皇帝は、なんと、祭壇によじ登り、指環を隠した十字架像に抱きついて頬ずりをし、法悦の涙を流している。なんともいやらしい。大僧正は、飛び出ていって皇帝の両の頬を叩き、やっとのことで目を覚まさせた。
 
 あまりに恐ろしい呪いの指環。こんなものを地上においておくのは、世の災いでしかない、と、大僧正は、街外れの底なし沼へ行き、そのもっとも深いところへ投げ捨てた。すると、たちまち沼は地獄のごとくに湯気を吹き上げ、ゴボゴボと熱泉を沸き出した。なんということか、と、おののく大僧正を尻目に、どこからともなく、かの皇帝シャルル・マーニュがふらっと現れ、我を忘れて、そのまま泥の沼の中へ入っていってしまう。ああ、至福、ああ、温かい、こここそがパライソ(極楽)か。かくして、このアーヘンの沼は、その後、温泉として整えられ、皇帝はいつまでも長生きし、いまもシャルルマーニュの湯(カロルス・テルメ)として人々を癒やし続けている。
 
 こういうくだらない、バカげた寓話を引いて、説教を垂れるのも野暮というものだろう。とはいえ、人の晩年は難しい。いまさら新しいことを始められるわけではない。かといって、来世のことを先取りしようにも、いまだこの世に足は残っている。今日のいま、ここにいることにどっぷりと浸かり、我も無く、人も無く、言葉を交わし、経験や知識を分け与え、いいころあいになったら、さっと風呂から上がるように、きれいにあの世へ旅立ちたい。

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